一つの死が、千の生命を与えた。
オウディウス『行事暦』
おととい、
そうか、もう一昨日になるのか、
ウチのペットのサランが死んだ。
3匹いる亀のうち、一番小さな一匹。
水槽の横にあるコンポで音楽を流したり、
下の階で誰かが楽器をならすと、
小さい手足と首を伸ばして、一番に水面から顔を出していたサランが。
飼い主の野絵は、本気で泣いていた。
最近ちゃらきゃらしてきた彼女の、
根本は変わっていないことに、少し安心した。
サランは、韓国語で『愛』という意味。
当時小学4年生だった妹が付けた名前。
小学生のクセに生意気な名前をつけるもんだとおもってたけど、
予想以上に世話をしていた。
亀のお陰で、どっかから蛇とか蛙とか蜥蜴とか、
よくわからん爬虫類を持ち帰って飼うこともなくなったし。
失われなかった根本を思い出させてくれた、
消えてしまった小さな命に感謝したい。
「たかが亀」だけど。
されど「一員」として、同じ年月を過ごしたのだから。
その小さな墓の、
新たな千の生命として咲いて欲しい。
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